4月19日 箱の中を覗いてはいけません

1ヨハネ 2:2
2 この方こそ、私たちの罪の為の - 私たちの罪だけでなく、
世全体の為の - なだめの供え物です。

映画の「レイダース 失われた聖櫃(アーク)」で、箱の中を見ようとした人たちは、打たれて死にました。箱の中の何が、それを見た人たちに裁きをもたらしたのでしょうか?

聖書によると箱の中には、十戒が刻まれた二枚の石の板、マナが入った壺、そしてアロンの杖が入っていました。(ヘブル9:4) これらの品々は神に対する、人の背きのしるしです。十戒が刻まれた二枚の石板は、神が定めた基準を、人がないがしろにしたこと、マナは神が備えられたものを人が拒んだこと、そしてアロンの杖は、神が置いた祭司を人が拒んだことを現わしています。

神は、これらそむきの印を見ることを望まれず、ご自分の民に憐れみを持つことを望まれました。神は、それらの品々を箱の中に入れ、それを贖いの蓋でふたをするように指示されたのです。その贖いの蓋は、又、いけにえの動物の血が振りかけられる場所でした。

大祭司は、一年に一回贖罪の日に至聖所に入り、いけにえにされた動物の血を、贖いの蓋に振りかけました。贖いの蓋の上の二つのケルビムは、神の義と聖さの守護者として立っていました。

それは、又、贖いの蓋にふりかけられた血を見る、神の目も象徴しています。そこに血があるかぎり、イスラエルの民全体に赦しが与えられ、神の裁きは民を通り過ぎ、民は次の一年間祝福されました。(レビ記16)

今日、贖いの蓋に振りかけられた血は、雄牛や雄ヤギの血ではなく、それは神の御子の貴い永遠の血です。(ヘブル9:12) イエスは私たちの贖いの蓋です。イエスは私たちの罪のための「なだめの供え物」であり、又、私たちの為だけでなく、世全体の為のなだめの供え物です。原語では、「なだめの供え物」に、「贖いの蓋」と同じギリシャ語が使われています。(ローマ3:25、ヘブル9:5)

愛されている皆さん、神はあなたの罪を見ず、それを認めません。なぜなら神は御子の血をみるからです。神は、十分な満足をもたらした、御子の完璧な御業を見ます。神は、又、あなたが自分の罪を見る事も望まれません。神は、あなたが箱の中を覗いて、罪を意識することを望まれないのです。神はあなたに、キリストと、その完成された御業を意識して欲しいのです。

今日考える事
罪を意識するのではなく、キリストと、その完成された御業を意識しましょう。

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