4月10日 神の前のイエスの全容があなたです

Ⅱコリント 5:21
21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。
それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

イスラエル人が、罪のいけにえの家畜をつれてきた時、その人は家畜をほふる前に、手をその上に置きました。(レビ4:1‐4) 手を罪のいけにえの上に置くと、その人の罪は、罪の無い家畜に移り、その家畜は彼の罪の為に死に、その人は自由の身となりました。

全焼のいけにえの場合、イスラエル人が家畜の上に手を置くと(レビ1:3-4)、傷の無い家畜の美しさ、その価値、是認が彼に移りました。神は、彼のかわりに贖いとなった、家畜のいけにえの完全さを、受け入れました。神は傷の無い全焼のいけにえを受け入れられ、捧げた人は神の前に正しいものとされました。

この2種類の捧げ物は、イエスが、ご自身をただ一度の捧げ物として、十字架に架かられた事を、語っているのを知っていますか? イエスは、私たちの罪のいけにえと、全焼のいけにえの両方になられたのです-「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました(私たちの罪のいけにえ)、それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです(私たちの全焼のいけにえ)」。あなたが信仰を主に置いたその瞬間に、主のたった一回の捧げものによって、あなたの罪は主に移り、かれの義はあなたに移りました。これがあなたへの神の恵みです。

私たちの罪のいけにえとして、キリストはただ一度、罪に対して死なれたのです。(ローマ6:10) 罪のいけにえは、けっして毎日されるものではありませんでした。なぜなら、神はご自分の民が、罪意識を持つことを望まれないからです。しかし、全焼のいけにえは、朝ごと、夕ごとにささげるいけにえでした。(第2歴代誌13:11) それは、神がご自分の民に義意識を持つことを望まれたからです。

愛されているみなさん、神は、あなたが毎日イエスをあなたの全焼のいけにえとし主張し、「お父様、イエスがわたしの全焼のいけにえであることを感謝します。お父様の目の前でイエスのあるさまのすべて、彼の義、卓越、美、完璧がわたしに移されました。イエスはお父様のかげりのない好意を受けておられます、ですから私もお父様のかげりの無い好意を毎日楽しみます。イエスは神の義です、ですから私はイエスにあって神の義です。御父の前で主の在る姿がわたしです。」と言う事を望まれます。

イエスがあなたの全焼のいけにえとなられたので、今日、御父にとってイエスがどんな存在であるかが、あなたなのです! これが、「キリストにあって」の意味するところです。 

今日考える事
御父の前のイエスのすべて、彼の義、美、完璧があなたに移されました。

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