4月22日 受ける方がより幸いな時

ルカ 10:42
42 . . マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。

もしイエスがあなたの家に来られたら、あなたはどうしますか? 座っていただいて、おもてなしを始めますか? それとも、あなたはいっしょに座り、イエスから汲み出しますか? 主に、奉仕していただき、満たしていただきますか? 

イエスは、二人の姉妹、マルタとマリヤの家に行きました。(ルカ 10:38) マルタはイエスに疲れを見ました。彼女は、イエスが長い道のりを歩き、良いわざをしてまわり、病人を癒し、人々の必要を満たして来られたのを知っていました。そして、「主は疲れておられるに違いない」と思い、主のおもてなしをしなければならないと考えました。

しかし、マリヤはイエスの疲れた外見の後ろに、主の神聖を見ました。彼女は主を、その方から汲み出させていただく方と見ました。そして、彼女はそうすることで、主に、ご自分が神であることを感じて頂いたのです - もてなしを受ける為でなく、与える為に来られた救い主。(マタイ20:18) イエスは彼女が良いほうを選んだ事を誉めました!

私たち、人間の頭では、理解するのが難しいです。ある人が、「でもプリンス牧師、聖書に受けるよりも与えるほうが幸いであるとあります。」と言いました。(使20:35) これは、人に関しては真実です。でも神は、与える事を望まれます。事実、あなたが神から受ける事を学ばないかぎり、何も人に与えることはできません。

どちらの姉妹が、イエスに喜ばれるごちそうで、満足していただいたでしょうか? イエスの為に忙しく料理をしていたマルタでしょうか? それとも、じっと座って、イエスから深く汲み出していたマリヤでしょうか? それはマリヤでした。彼女は、そうすることで、イエスに、ご自身の神の栄光を感じていただいたのです。彼女は、与え主、神であるイエスに、そのことをしていただいたのです。

私たちはよく、マルタのように、役割を取り違えます。なぜか私たちは、神には私たちの奉仕が必要だと考えます。でも実は、神は先ず私たちを満たすことを望まれます。イエスにとってマリヤの耳と心は、マルタの手と足よりも大切だったのです。

私たちは、耳と、心を使ってイエスから汲み出します。手と足は、私たちが主に奉仕する時に使い、そのための場はあります。でも主にとって、私たちが、神の豊かな神聖を感じて楽しむことが、私たちができるかぎりの奉仕をする事より大切なのです。そして、あなたが神から汲み出すと、あなたは真の与える人、奉仕者になっていきます。

今日考える事
あなたが神から受ける事を学ばないかぎり、何も人に与えることはできません。

Copyright Joseph Prince www.JosephPrince.com

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